【映画レビュー】羅生門
TOHOシネマズシャンテで行われていた特集上映「特集:黒澤明 -生誕100周年記念 特別上映-」にて、1950年に製作された黒澤明監督の映画『羅生門』を観て来ました。
この作品、学生時代に大学図書館の映像ライブラリーにてレーザーディスクで観て以来、初のスクリーン鑑賞。
10年以上ぶりなので、ストーリーや展開などもすっかり忘れてしまってました。
今回、大きなスクリーンで観ることができたので、撮影監督の宮川一夫が世界で初めて手掛けた“木漏れ日”の映像や、羅生門に降る土砂降りの雨など、映像もたっぷり堪能しました。
しかし、何より素晴らしいのは、そのテーマ性。
「ああ、力はあるけど弱い男性、無力だけど強い女性、そういうジェンダー論的な映画なんだな」と思っていたら、途中からさらに強いテーマを表現してくるこの感じ。
そう言えば、黒澤映画をテーマを理解したつもりで観ていると、途中で「さらに、そんな深いテーマが!?」と驚かされることが多かったなぁと、今になって気付きました。
STORY
荒れ果てた羅生門の下。雨宿りにやって来た男に、杣売りと旅法師が、自分たちが見聞きした不思議な話を語り始める。ある日、杣売りは山中で武士の死体を発見した。検非違使に届けたところ、そこで殺害犯の多襄丸や殺害された武士の妻・真砂、そして武士の霊魂を宿した巫女から、事件の顛末を聞くことに。しかし、3人が語る事件の成り行きは、それぞれまったく違うものだった。やがて杣売りは、自分が見た事件の真実を語り始める…。
解説
1950年に製作された、黒澤明監督作『羅生門』。
芥川竜之介の短編小説「藪の中」、「羅生門」を下敷きにしています。
公開当時、日本ではその内容がまったく理解されなかったとか。
しかし、1951年度のヴェネチア国際映画祭グランプリ、1952年度のアカデミー賞最優秀外国映画賞を受賞してから、国内の評価も変わったそうです。
でも確かに、この複雑な構成と、ストーリーの不可解さは、「映画≒娯楽」と考えていた当時の一般の観客にとっては、理解が難しいかもしれません。
その意味で、「映画≒芸術」と捕える土壌が出来ていた、外国で評価されたのかも。
この映画の中で起きている事実は以下の通りです。
(1)多襄丸が山中で武士とその妻・真砂と出会い、真砂に目を付ける。
(2)多襄丸が武士を騙して山中に連れ込み、縛って動けなくさせる。
(3)真砂を武士の所に連れて行き、夫の目の前で手籠めにする。
(4)武士が死体で発見される。
この(3)と(4)の間で起きていることが問題なわけですが、多襄丸、真砂、武士(の霊魂)が、それぞれまったく違う証言をします。
多襄丸、真砂、武士がそれぞれ事件を語っている際に、私は「力はあるけれど内心は弱く、そのくせプライドばっかり高くて女を自らの付属物としか思っていない男性」と「無力だけれど実は気丈で、一見は従順だけれど、その実、男を操っている女性」を描いた物語だと思っていました。
女は男にとって性の道具やステイタスの象徴であったりもするけれど、陰で男を操っているのはしたたかな女の知恵なのだ、と。
しかし、最後に事件の一部始終を物陰から覗いていた杣売りが真実を語り、物語は一転します。
男も女も関係なく、それぞれが自分のプライドや利益のことのみを考え、浅ましく生き延びようとします。
自分のことしか考えようとしない彼らは、まさしく獣のよう。
そんな醜態を曝しておきながら、他人にはさも自分が素晴らしい人間であるかのように振舞うのです。
人間の中に潜む愚かしさや浅ましさが、よく表わされていました。
それにしても、やはり「1週間の活力を得るために、血沸き肉踊るチャンバラ映画でも観に行くか」と思って映画館にやってきた1950年の観客の目には、やはりこの作品は難解だったでしょうね。
現在の目の肥えた観客だからこそ、こう言った映画が楽しめるのだと思います。
でも、そんな時代にもかかわらず、こんなクオリティの高い、斬新な映画を創り出した黒澤明監督は、やはり偉大な映画監督ですね。
作品情報
『羅生門』(88分/日本/1950年)
原作:芥川竜之介
監督・脚本:黒澤明
撮影:宮川一夫
出演:三船敏郎/森雅之/京マチ子/志村喬/千秋実/上田吉二郎
「特集:黒澤明 -生誕100周年記念 特別上映-」
公式HP:http://www2.toho-movie.jp/movie/kurosawa/
上映スケジュール:http://www.tohotheater.jp/theater/034/info/event/kurosawa.html
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