【映画レビュー】十三人の刺客
いやいや、これはすごい…。まさに“手に汗握る”衝撃作でした。
前半は“いかにも時代劇”なカット割りやカメラワークで静かに物語を説明していき、後半は怒涛の大アクション・ムービーに変身するこの映画『十三人の刺客』。
堪能させていただきました。
ここのところの時代劇ブームで、『桜田門外ノ変』、『最後の忠臣蔵』、『雷桜』と、いくつかの時代劇を観て来ましたが、そのどれにも今ひとつ納得できなかった私。
本作を観て、その理由がよくわかりました。
それにしても、やっぱり三池崇史監督は職人だなぁ。
押さえるトコはしっかり押さえつつ、でも自分のやりたいシーンはしっかり入れる、という。
まあ、伊勢谷くんと一徳さんのシーンは、多少やり過ぎな気もしますけどね…(笑)。
<STORY>
次期老中に内定している明石藩主・松平左兵衛督斉韶は、人を嬲り殺すのを喜びとする鬼畜のような男。そんな斉韶が老中になることを恐れた土井大炊頭利位は、直参御目付の島田新左衛門に斉韶暗殺を依頼する。新左衛門は甥の新六郎や御徒目付組頭・倉永左平太ら12人の仲間を集め、斉韶暗殺の策を練る。だが斉韶の腹心には、新左衛門の若い頃からの好敵手・鬼頭半兵衛がいた。彼は松平家に仕官した傑物で、一筋縄ではいかない男だった。
<解説>
1963年に工藤栄一監督によって作られた同名映画のリメイクである本作。
前作は未見なので比較はできないのですが、本作は素晴らしい力作だと感じました。
なんと言っても、俳優陣ひとりひとりのパワーがすごい。
自らの信念に従って生きる男たちが、命をかけて戦う様子には、思わず圧倒されました。
本作の登場人物たちは、みんな自分の個人的動機から、斉韶暗殺に参加しています。
もちろん“天下万民のため”という大義はありますが、細かい動機としては「あんな極悪非道な奴、許しちゃおけねぇ」という義侠心から。
侍が侍であることが難しい太平の時代に、「男として」「侍として」自分の判断で刺客となるのです。
『桜田門外ノ変』、『最後の忠臣蔵』では、時代の流れの中で、大義の中の時代を動かす駒のひとつとして、侍たちは生きています。
「“集団の中の個”である自分は、捨て駒でよい。大義を果たせるのであれば、自分は死んでも構わない」
これが、『桜田門外ノ変』、『最後の忠臣蔵』の登場人物の思考です。
でも、『十三人の刺客』の登場人物たちは違う。
「自分の目的を果たせるのであれば、結果的に自分は死んでしまっても構わない」
あくまでも、思考し、判断するのは、自分。
同じ“死んでも構わない”という結論であっても、そこへ至るまでの道筋が、決定的に違うのです。
難しいことは言えないのですが、『桜田門外ノ変』、『最後の忠臣蔵』が“集団主義の中に生きる前近代的な男たちの物語”だとすれば、『十三人の刺客』は“個人主義の中に生きる現代的な男たちの物語”というように感じてしまいました。
どちらが良いとか悪いとかいうことではないのかもしれないし、どちらの良さももちろんあるのでしょうが、“集団の中での個”としてよりも、“自分”で判断することを求められる現代に生きている私は、本作『十三人の刺客』の侍たちの方に、大きなシンパシーを感じたのでした。
ああ、それにしても、この作品は良かった…。
あまりにも良かったので、いろいろ言いたいことが多過ぎる…。
全部書いていると終わらないので、いちばん印象に残ったことを選ぶとすると、やはり役所広司の一の部下役の松方弘樹の存在感でしょうか。
なんかもう、すべてがうまい。
演技もうまいし殺陣もうまいし、ベテラン俳優の底力を感じさせてくれました。
いやー、「遠山の金さん」シリーズ、今までちゃんと観たことがなかったんだけど、ちょっと観直してみるべきかしら。。。
『十三人の刺客』(141分/日本/2010年)
公開:2010年9月25日
配給:東宝
劇場:全国にて
原作:池宮彰一郎
脚本:天願大介
監督:三池崇史
出演:役所広司/山田孝之/伊勢谷友介/沢村一樹/古田新太/高岡蒼甫/六角精児/波岡一喜/石垣佑磨/近藤公園/窪田正孝/伊原剛志/松方弘樹/吹石一恵/谷村美月/斎藤工/阿部進之介/内野聖陽/光石研/岸部一徳/平幹二朗/松本幸四郎/稲垣吾郎/市村正親
公式HP:http://13assassins.jp/
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