【舞台】ノーアート・ノーライフ / NYLON100℃ 37th SESSION
下北沢の本多劇場で、ナイロン100℃のお芝居「ノーアート・ノーライフ」を観てきました。
このお芝居は、2001年に上演されたものを同じキャストで再演したものだそう。
とはいえ、ナイロン100℃のお芝居をそんなに観たことがないので、私にとっては初めての作品だったのですが…。
<STORY>
1974年、パリ。とあるカフェは在仏日本人アーティストたちのたまり場となっていた。メグリという男が前日に持ち物を忘れたとバーテンに訴えている。しかし、その日初めて入った新人バーテンのスティーヴは、「そんな忘れ物は聞いていない」と剣もほろろ。そんな時、画家のタイナカが友人のオケタニに腹を立てながら店に入って来た。言い争う彼らを、小説家のモズが冷めた目で眺めていた。そこに画商のトニーとオブジェ作家のヒライが現れ…。
<感想>
パリにあるカフェの一画で、8人の男性キャストが繰り広げる1シチュエーションドラマ。
うだつのあがらない自称アーティストたちが自己顕示欲と諦念の間で葛藤する様を、俳優たちの会話で描き出していきます。
私も芸術系の学校出身なのでよくわかるのですが、芸術を志す人間って、いろいろめんどくさい存在だと思います。
高い自己評価と他者からの低い評価の狭間で悩み、葛藤を抱えていたりするものです。
若いうちは自己満足だけで「夢を諦めないぞ!」とやっていけても、ある程度の年齢を重ねると、親のスネをかじるわけにもいかなくなるし、自分で自分の生活基盤を整えなければならなくなります。
だいたいの人はそこで折り合いをつけて、自分のできることとやりたいことの中間地点にあるような収入源を見つけ、そこで日々の糧を得ていくようになるわけです。
でも、この物語の登場人物たちは、それすらもできていない人びと。
日本ではなく芸術の都・パリに活路を求め、とはいえ現地の人びとと交流をするわけでもなく、地下のカフェで同じような日本人同士で吹き溜まっているわけです。
現代芸術なんて捕らえる人の感覚でどんどん価値が変化していくもの。
名のある人が評価すれば一見下らなく見えるものでも価値は上がっていくし、どんなに技術が素晴らしくても、評価されなければなんの価値もありません。
自身が目指す“芸術性”と、世間に受ける“メジャー性”の間で悩み、芸術って結局はなんなのかわからなくなっていくタイナカの思いは、よくわかります。
やりたいことをやるのか、いいと思えなくても世間にうけることをやるのか…。
売れない内は売れたいと思い、売れてくれば売れなくてもいいからやりたいことをやりたいと思う…。
そんな芸術家の大変さが伝わって来て、なんだか微妙な気持ちになる作品でした。
絵画も陶芸も彫刻も映画も音楽も芝居も、なんだかいろいろ大変だなあ。。。
NYLON100℃ 37th SESSION「ノーアート・ノーライフ」
東京公演:2011年11月5日~11月27日
劇場:下北沢 本多劇場
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演:みのすけ/三宅弘城/大倉孝二/廣川三憲/吉増裕士/喜安浩平/温水洋一/山崎一
公式HP:http://www.cubeinc.co.jp/stage/info/nylon37th.html
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