【映画レビュー】もののけ姫

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新型コロナウィルスが世界に大きな影響を与えている昨今。新作映画の公開が滞っている今、旧作の名作映画がスクリーンで再上映されています。
そんな中で、世界的に人気の日本のアニメーションスタジオ、スタジオジブリのアニメ映画を映画館で公開しています。

映画館の大スクリーンでジブリの名作をもう一度観れるこの機会、見逃す手はない…。というわけで、早速観てきました。まず最初に観に行ったのは、1997年の映画『もののけ姫』

最近、仕事をきっかけに阿蘇や諏訪、アイヌなどの日本古来の狩猟採集民族に興味を持っているのですが、その視点で見ると、かなり新たな気づきがありました。

 
<STORY>
東と北の間にあるエミシの村に生まれたアシタカは、村を襲うタタリ神を殺し、左腕に呪いを受ける。呪いを断ち切るために西へ旅にでたアシタカは、はるか西の果てにあるシシ神が住むという森にたどり着く。そこでアシタカは、山犬に育てられたサンという人間の少女と出会う。森の動物たちと心を通わすサンは人間からもののけ姫と呼ばれていた。森の奥にはエボシ御前という女性が率いるタタラ場があり、サンはエボシ御前の命を狙っていた…。

 
<解説>

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この映画『もののけ姫』の主人公は、東と北の間にあるエミシの村で育った青年・アシタカです。エミシの村とは、ヤマトの中央政権の支配から地方へ逃げてきた狩猟採集民の子孫たちが暮らす、集団で狩猟採集生活を送る村のこと。アシタカはこの村で、次代を担う村長の息子として育ってきました。

しかしアシタカは、怒り狂ってタタリ神となった巨大なイノシシ・ナゴの守の怒りを買い、呪われた身となってしまいます。
ケガレを背負ったアシタカはエミシの村にいられなくなり、ナゴの神がタタリ神となるきっかけとなった西の地を目指すことになるのです。

アシタカは初めて外の地に降ります。そこで目にするものは、人と人が戦う姿。
人々が助け合って食物を採集し、協議しながら暮らしてきたエミシの村とは違い、そこでは略奪、殺し、盗みなどが行われていました。強いものと弱いもの、利用するものと利用されるものがいます。そんな中で、さまざまな人々がしたたかに生きているのです。

やがてシシ神の森についたアシタカは、犬神・モロの君に我が子として育てられた少女・サンと出会います。
彼女は人間に捨てられてに育てられ、“もののけ姫”と呼ばれていました。

そんなサンと対立しているのが、エボシ御前。彼女はシシ神の森の奥で鉄を造るタタラ場を営んでいます。そこでは、強く明るい女たちが鉄を作って暮らしていました。
そのタタラ場の奥では石火矢も作られており、この石火矢でエボシ御前はサンやモロの君に対抗していました。

アシタカはサンと出会い、自然の中で人間を憎みながら生きる“もののけ姫”の心を知ります。

そして、アシタカはタタラ場を訪れ、エボシ御前やタタラ衆と話すことで、タタラ場の意義を知るのです。
タタラ場で働いているのは、売られた女たち。エボシ御前は女たちを買い取り、職を与えて自らを手伝わせています。そこには、女をなぐる男や女を搾取する男はおらず、男女共に協力しあってタタラ場を営んでいました。
また、タタラ場の奥では、集落から見捨てられた癩病に侵された病人たちも働いています。

言ってみれば、タタラ場にいるのは世間から切り捨てられた弱者たち。そんな弱者たちが、仕事と存在意義を与えられ、自由意思で暮らしているのです。

でも、タタラ場は森に生きるものにとっては憎むべき場所。
燃料にするために木を切り倒し、川から浚った砂鉄を火で溶かし、鉄を作り出します。その鉄で作られるのは、石火矢などの武器や農耕器具、斧やナタなどの生活道具など。どれも、自然を破壊することができる道具です。
自然を切り崩して作ったタタラ場で、自然を破壊するための道具を作り出しているのです。

エボシ御前は、そんな自分が自然に生きるものたちから憎まれていることを知りつつ、それを平然と受け入れて、むしろ自然に戦いを挑んでいきます。
なぜなら、それが自分やタタラ衆たちが生きるために必要なことだと信じているから。
強大な存在から搾取されることなく、自らの力で生きる糧を得て生き抜いていこうと、強い信念を持って道を選んでいるのです。

しかし、そんな信念を持ってタタラ衆を率いるエボシ御前を利用しようとする者たちも現れます。
それがジコ坊の所属する「師匠連」と。不老不死の力を持つというシシ神の首を得るために、エボシ御前に石火矢衆を貸し与え、神殺しの罪をエボシ御前に押し付けようとしています。
エボシ御前も、自分が利用されていることは把握しながら、彼らの武器や人力を利用して、タタラ場を発展させていくために邪魔となるシシ神を殺そうとするのです…。

さらには、経済的に大きな可能性を秘めたタタラ場を狙い、アサノ氏率いる地侍も戦いに加わり、自然対人間の戦いは、複雑な様相を呈してきます。

自然に属するのは、以下の勢力。
ただそこにあり、森や動物たちの生命を司るシシ神。
モロの君率いる犬神とサン。エボシ御前を狙いつつも、自然と人間の均衡を探っています。
乙事主率いる猪神。同族でありタタリ神になってしまったナゴの守の死を聞き、人間に復讐をするために海を越えてやってきました。モロの子であるサンは、乙事主までがタタリ神にならないよう、乙事主を止めようとします。

対する人間は、以下の勢力。
エボシ御前とタタラ衆。
シシ神の首を手にいれようとする「師匠連」の手先であるジコ坊と、彼の率いる「唐傘連」。
ジコ坊に雇われ、シシ神に近づくためにイノシシの生皮をかぶって戦う「ジバシリ」たち。
タタラ場を狙うアサノ軍。
アサノ軍に利用される野武士たち。

 
彼らはそれぞれに思惑を持ち、それぞれの行動を選択していきます。
人間同士、自然同士でもその利害関係は必ずしも一致せず、相反する行動をとるのです。

 
そんな両勢力を“曇りのない眼で見つめている”のがアシタカです。
人間でありながら、自然にも味方をし、それでもタタラ場の者たちやエボシ御前を助けようとするのです。

アシタカは曇りのない眼でそれぞれの事情を見定め、戦いを止めることはできないことを知ったのでしょう。
エボシ御前、サン、ジコ坊、モロの君、乙事主、ナゴの守、猩々、彼らにはそれぞれに自分たちの行動を選択した理由があり、それは他者から見ると許しがたいものである時もある。
しかし、生きていくためには、たとえ他者を傷つけようとも、その道を選ばざるを得ない……。

 
この『もののけ姫』では、厳しい自然から恩恵を受けて、自然を畏怖しながら生きてきた古代の狩猟採集民族の姿(アシタカ、サン)と、文明や道具を発明しその恩恵によって自然を壊しながら生きてきた現代に通ずる人間たちの姿(エボシ御前、ジコ坊ら)が描かれています。
彼らは時に対立はするけれど、そこには絶対的な“善”や絶対的な“悪”が存在するわけではなく、それぞれの信義にのっとって生きるだけなのです。
自らの信義のためなら、神だって殺す。それが人間なのでしょう。

人間世界の営みは、決して勧善懲悪とはならないのだと、宮崎駿監督は教えてくれているのかもしれません。

『もののけ姫』(133分/日本/1997年)
英題:Princess Mononoke
原作・監督・脚本:宮崎駿
製作:鈴木敏夫
音楽:久石譲
主題歌:米良美一
声の出演:松田洋治石田ゆり子田中裕子美輪明宏小林薫森繁久彌森光子西村雅彦上條恒彦島本須美渡辺哲佐藤允名古屋章近藤芳正飯沼慧菅原大吉香月弥生坂本あきら
Official Website:

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