【映画レビュー】日輪の遺産
個人的にいろいろと納得がいかなかった映画『日輪の遺産』。
いや、この作品の演出がどうとか、ストーリーがどうとか、役者さんの演技がどうとか、そういうことじゃないんです。
というよりも、監督の演出や役者さんの演技は、どれも素晴らしいと思います。
でも、作品うんぬんというよりも、少女たちをこんな目に遭わせるのが当たり前だった時代、強者が情報統制の上、弱者を利用する時代、というその時代背景が、まったくと言っていいほど、納得できませんでした。
そして、太平洋戦争時から、あまり変わっていない日本人のメンタリティの悪い部分を感じてしまい、どうも拒否反応が出てしまって。
試写で5月に拝見していたのですが、なかなか取り上げる気になれませんでした。
というわけで、このレビューも“映画『日輪の遺産』”に関するレビューというよりも、“映画『日輪の遺産』で描かれている終戦時の時代背景や日本人のメンタリティ”に関する感想という感じになってしまっています。。。
<STORY>
昭和20年の8月、帝国陸軍・近衛第一師団の真柴少佐は軍上層部から呼び出された。東部軍経理部の小泉中尉と座間五百一連隊の望月曹長の3人で、GHQ最高司令官マッカーサーから山下将軍がかつて奪取した900億円の財宝を秘密裏に移送し、隠匿せよという指令を下されたのだ。日本の敗戦を悟った軍上層部は、その財宝を日本の復興のための資金にしようとしていた。真柴少佐は勤労奉仕で駆り出された20人の少女たちを率いて、その財宝を隠し終えたが…。
<解説>
浅田次郎の同名原作小説を『半落ち』、『ツレがうつになりまして。』の佐々部清監督が映画化した本作。
現在の平和な時代に生きている私にとっては、やはりどうしても納得がいかないストーリーでした。
なぜ、いたいけな少女たちが戦争の手伝いをしなければならないのか。
なぜ、軍上層部は彼女たちを道具として利用とし、そして彼女たちは自らすすんで悲壮な決意を固めてしまったのか。
戦局についての詳しい情報をもたず、「日本は必ず勝つ!」という根拠の無い洗脳の中で生きてきた少女たち。
彼女たちは、言ってみれば“情報弱者”です。
“情報弱者”の中に、一人だけ、“父親が軍人で日本が負けている状況をなんとなく知っており、なおかつ、小泉中尉たちに下された命令の存在を知ってしまった”という、“(少女たちの中では)情報強者”にあたる人間がいた、というのが、彼女たちの不幸の原因でしょう。
しかし、“情報弱者”が簡単に“情報強者”に操られ(悪気はないにしても)、自ら不幸な結末を招く、という過程がね…。
しかもその“情報強者”だって、別のクラスタから見れば、“情報弱者”でしかないという。
哀しいストーリーに思わず涙しつつも、そのあたりが、どうしても納得できませんでした。
そして、あともうひとつ納得できなかったのは、誰が残酷な命令を下したのか、わからないところ。
堺雅人演じる真柴少佐や福士誠治演じる小泉中尉、中村獅童演じる望月曹長は、その命令を下された立場であって、命令の責任はないにせよ、その命令を下した人物は必ずいるわけで。
にも関わらず、その命令を持ってきたのは、正体不明の“旧軍の亡霊”(正確になんといっていたかは、ちょっと失念)。
むしろその命令を下したのであろう陸軍上層部の人びとは、“冷静な分析により難しい決断を下し、日輪の遺産を後世に遺した”というような印象を残すような映画になっているのも、納得できませんでした。
(原作未読なのでなんとも言えないのですが、原作ではこの命令を下す上層部の感情などにも触れられているのでしょうか…)
本当に残酷な命令を下した人は姿を見せず、敗戦の空気や無言の同調圧力によって、組織の下の人間に、自ら残酷な行為をさせるように促すという、このやり方に、太平洋戦争時から変わっていない、日本人の悪しきメンタリティを感じてしまったのでした。。。
こういう感想は、東日本大震災を経験し、311後のマスメディアやネットメディア、SNSメディアなどを見てきたからこそ、抱いてしまった感想なのだと思います。
でも、2011年の3月11日以降にこの作品を観たからこそ、日本人のメンタリティが1945年の頃と何も変わっていないことに気付けたのかもしれません。
『日輪の遺産』(134分/日本/2011年)
公開:2011年8月27日
配給:角川映画
劇場:全国にて
監督:佐々部清
原作:浅田次郎
出演:堺雅人/福士誠治/ユースケ・サンタマリア/八千草薫/森迫永依/麻生久美子/塩谷瞬/八名信夫/中村獅童/土屋太鳳/金児憲史/柴俊夫/串田和美/山田明郷/野添義弘/麿赤兒/ジョン・サベージ/北見敏之/ミッキー・カーチス
公式HP:http://www.nichirin-movie.jp/